日本語スピーチコンテストの感想

刚刚结束的校日语演讲比赛,我居然拿了2-4年级组的第一名,大概是我人生中学习日语的巅峰了。记得一年级时太忙,日语退课了;二年级时无知,走了鸡汤路线,班级发表就被刷了连参赛资格都没拿到。实在意难平,坐下来将历年获奖作品仔细研究一番,大致了解评委喜欢的套路,决定今年走段子手路线。

本来我还挺自信的,觉得自己段子写得不错。但是今年突然冒出来一个非常厉害的竞争对手,行文用词,发音语速都要比我好,最后我也只是侥幸获胜。哎,人外有人,山外有山,看到强大的对手才有进步的欲望。刚刚回看老师发的演讲视频,天呐~~~ 不忍卒视,回去得好好练呐。

此番虽然是初次上台讲段子,从初稿到表演整个过程我还是思考了不少,整理一下供今后学习。

1. 核心想要表达的是什么?

我们三年级的演讲主题被定为“异文化交流”。先不考虑诸如食文化之类玄乎的东西,我觉得最基本的异文化交流是语言的交流。但是语言交流的学习等同于背生词,学文法吗?哪怕你能够熟练翻译这门语言了,你就能畅通无阻地交流了吗?好像还是不能,然后我们进入到异文化交流的下一个层面,如何去读懂“言外之意”。

日本文化中的“言外之意”特别有代表性,我举了很多好笑的例子。当然通过揣摩对方的话来读懂“行间”是一件很有趣的事,但是我觉得“行间之存在”本身就是一件不可思议的趣事。语言文字的创造之初是为了交流之需,但是现在交流却超越了文字。想要达到真正的交流,就不能不透过文字去了解其背后更大的“文化”。

如果我想表达的这个核心思想没有传达出去,大家光听到段子了,我会觉得非常遗憾。

2. 段子怎么讲才是好段子?

决定走段子手路线,一方面是幽默作品更受欢迎;另一方面,与文字不同的是,口头表述的交流方式,幽默是最具有传染力的,尤其是在(演讲者和观众同时)未能熟练掌握这门语言的时候,幽默应该是联系双方的最佳桥梁。演讲如果完全没有互动(这里的互动不限于搞笑,泛指能让人产生共鸣的话语),甚至别人没有听懂,是很糟糕的。

不过,好段子绝不是单纯为了活跃气氛和讨好观众。我理想的段子应该是“有共感的段子”。所谓“共感”,一方面是指并非我个人独有的经历,而是发生在所有人身上的,基于你我共有的体验,也许你以前没注意到,我今天给你指摘出来,希望你能有一种“诶?以前没发现,但是真的诶……”这种感觉。另一方面我希望观众笑完之后段子不是烟消云散,而是观众在听完之后能够思考,能引起一些“回响”。

为了共感的搞笑,我为一年级和二年级学生都精心准备了相应的段子。二年级的那个梗埋得太深了,连老师也没反应过来,是来自一篇日语课二年级秋季期末考试的阅读文章。渣男Ken给女朋友道子写了一封信,坦白他跟道子的好朋友Alice在一起的事儿。我拿来改编了一个情侣分手的段子。

3. 落语的表现方式

因为看了宮藤官九郎的《虎与龙》,特别喜欢里面的古典落语新说。所以本来在开始写第一稿之前,我有一个巨大的ambition就是也想模仿宫九写一个落语新说。当然了,我的破日语水平连古典落语都看不大懂,别说写一个新的了。但是我又不能完全死心,还是想借鉴一点落语的表现方式。于是就保留了一些搞笑的对话,然后在表演的时候学落语家向两边说话模仿两个不同人在对话。

就在演讲的前几天,我看了满岛光在《对不起青春》的特典里讲到她第一集表现落语段落时,被摄影师纠正说好的落语家是不会身体大幅度摆动的,都只是头微微侧过。我后来看了自己的视频,果然没做到。

4. 顔芸要用吗?

日本艺人有一项比较厉害的表演叫“顔芸”,指的是表情的演绎。我也一直跃跃欲试,但是数次被老师叫停,说我表情太夸张了,把观众吓到了。特别是中间「はあッ、性格合わないなんて、嘘ですよね」里的那个“はあッ?”,他说难道不应该是”ええ?”表示惊讶吗?哈,天真!拜托,那个「はあッ」里面包含了既愤怒又惊讶的双重混杂的情绪好吗?反正我没听他的,还是按自己的老路子讲。

后来看了一下视频,表情确实丑,我无言以对。

以下是我的演讲原稿和英语简介

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本音と建前

Observing the discrepancy between the behavior and opinions Japanese people display in public (tatemae) and their true feelings (honne) has led me to realize that cross-cultural communication is not just about understanding the meaning of words, but also the important – and often fun – task of “reading between the lines”.

先日、友達とこういう話をしました。私は「今週の日本語テーブル、一緒に行かない? 」と聞いたら、「今週はバタバタしてて、でも行けたら行くね。」と言われました。皆さん、「行けたら行く」というのは一体どういう意味でしょうか? 「時間があれば、日本語テーブルに行く」という意味ですか? 「忙しくても、日本語テーブルに行こうとする」という意味ですか? 今まで日本語を三年間くらい勉強して、日本のドラマもたくさん見たり、 本も何冊か読んだりしてきた私はやっとこの会話の意味のカギとなる「本音と建前」という日本人の独特の話し方に気づきました。簡単に説明すると、本音は本来の感情や考えですが、建前は表向きに表す態度や発言です。つまり、本音と建前の違いは気持ちと言葉の違いなんです。今日のスピーチでは、本音と建前について少し話させていただきたいと思います。

まず、日本人の断り方を考えてみましょう。日本人が断る場合は、 よくはっきりしないで曖昧な返事をします。例えば、先言った「行けたら行く」という建前に対して本音は「行かない、全然行きたくない」という意味でしょう。「 今は誰とも付き合えない」というのは 「あんたは私のタイプじゃない」という意味でしょう。「来週のスケジュールまだ分からないから、こっちから連絡しますね」というのは「連絡しないで」という意味でしょう。もう一つよく使われているストラテジーは、 本当の理由を言わずに、別の理由を言うことです。例えば、カップルが別れるシナリオを想像しましょう。ケンは彼女の道子に「なんで別れるの」と聞かれますが、実は道子の親友のアリスさんに心を移したのに、「ごめん、道子。俺たち性格合わないと思う」と答えます。はあッ、性格合わないなんて、嘘ですよね。カップルが別れる時よく性格が合わないと言いますが、ほとんどの場合は性格のせいじゃなくて、 ただの言い訳でしょう。さて、どうして日本人ははっきり自分の気持ちを表して、お互いに迷惑をかけないようにしないのでしょうか。多分日本人にとって、自分の気持ちより、相手の気持ちがもっと大切だからだと思います。正直に断ったら、相手の感情を傷つけるかもしれません。それを信じなければ、皆さん、今度は直接に本音で答えるシナリオを想像しましょう。

Q:「なんで別れるの? 」 A:「浮気したから。」

Q:「なんで別れるの? 」 A:「お前がブスだから。」

Q:「なんで別れるの? 」 A:「え?付き合ってんの、俺たち?」

どうでしょう? 絶対に悲劇になるに違いありません。

日本人は断る時だけでなく、 愛情を表す時も間接的に話します。 アメリカ人がよく「I love you」と言う一方、日本人は あまり「愛してる」と言わないようです。 その代わりに、好きな人には「好き」と言わずに「会いたい」と言い、会いたい人には「会いたい」と言わずに「ご飯行きませんか」と聞くらしいです。皆さん、一年生の時、友達をイベントに誘うのを勉強したことを覚えていますか。「チケットがあるんだけどさ、コンサート行かない」とか、「新しいレストランは美味しいそうだよ。一緒に晩御飯を食べない」とかたくさん練習しましたし、話す試験でもテストされましたね。なぜ先生がそんなに厳しく私達を一生懸命練習させたのでしょうか。今考えれば、普通の日常会話ではなく、絶対に日本的な恋愛スキルを教えてくださっていたに違いありません。(実は、それについて、 有名な作家の夏目漱石の 小話 があります。ある日、まだ英語の先生であった夏目漱石は「I love you」の翻訳を 生徒 達に聞きました。ある 生徒は「私はあなたを愛してます」と答えましたが、 夏目漱石は 「日本人が「愛してます」なんて言うものか? 「月が綺麗ですね」と言ったら、日本人は分かるものだ」と言ったそうです。)さて、どうして日本人が愛していても、「愛」を言わないのでしょうか。 もちろん、断られたら恥ずかしいので、好きな人に曖昧な言い方をすることはどこでも同じだと思いますが、私は東洋人として、もう一つの理由が考えられます。 日本人にとって、東洋人にとって、愛はずいぶん重いものだと思います。重いので、胸の中に、心の中に、気をつけて隠して、口から簡単に言うことはやはりできません。(美しい月を見ながら、その美しさを私が愛している人とシェアしたい気持ちが伝われば、ちょうどいいんじゃないでしょうか。それが日本人の愛だと思います。)

先生と相談した時に、本音と建前について話して、どんなメッセージを伝えたいと聞かれました。「日本人、みんな嘘つき、言ったことを信じられないわ! 」とか、「日本人の友達、こういう生活は疲れません? 建前を言わないで、本音を素直に表しましょう! 」など、そういうことではありません。日本人が頼んでいる時でも、頼まれている時でも、褒めている時でも、褒められている時でも、文句を言っている時でも、謝っている時でも、相手が好きでも、相手が好きじゃなくても、どんな場面でも、建前の後ろに本音があるようです 。それに気づいたら、言葉だけではなく、言葉以外のメッセージも分かろうと、そういう話し方に慣れている日本人の気持ちも分かろうと、日本語を一生懸命勉強することが私にとって、何より楽しいです。皆さんも、建前の中に隠れている本音を聞き出そうとすると、楽しいかもしれません。

これは私の本音です! 建前ではありません!

备注:因为稿子太长,括号中内容被老师要求删去。老师甚至觉得还太长了,让我再删一段,被我严词拒绝,你再删,你再删我段子都被你删没了!

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